2011年3月 9日 (水)

エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス来日!

しばらくお休みを頂いておりました当ブログですが、来る3月31日のエル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカスの来日公演にあわせてゆっくりと再開したいと思います。

来日公演の詳細については、招聘元KAJIMOTOのサイトをご覧下さい。

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2009年5月 1日 (金)

朝日新聞 「私の視点」

当委員会 事務局長の佐藤正治が書いた記事が朝日新聞に掲載されました。

「エル・システマ」について書いております。是非ご覧下さい。

「090423_asahi_el_sistema.pdf」をダウンロード

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2009年3月30日 (月)

TV情報

ドキュメンタリー「エル・システマ」とSBYO日本公演(12月17日)の模様が放送されます。

2009年4月4日(土) 23:30~翌3:50 BShi●ハイビジョン ウイークエンド シアター

  • クラシック・ドキュメンタリー「エル・システマ」
  • グスターボ・ドゥダメル指揮 シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ日本公演

ドキュメンタリーはNHKがベネズエラ現地で3人の青年に密着したもので、非常に良い映像が撮れたそうです。日本公演は先日教育テレビで放送されたものと同じ演奏会ですが、今回は抜粋ではなく全曲が放送されます。

是非ご覧下さい!

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2009年3月 3日 (火)

ピースボート「ベネズエラ楽器支援プロジェクト」

NGOピースボート様から「ベネズエラ楽器支援プロジェクト」のお知らせをいただきました。このプロジェクトは、楽器を無償で提供する、というエル・システマの根幹を支えています。

4月に出航する「世界一周の船旅」でベネズエラを訪問するそうです。

詳細は以下のワードファイルをご覧下さい。

「pb_fesnofiv.doc」をダウンロード

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2009年2月11日 (水)

小原京子さんからのニュース その6

ベネズエラの新聞がSBYO日本公演の様子を伝えています。

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エル・ナシオナル紙 2008年12月18日(木)付け

コンサート:シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを聴いて、東京の聴衆は、恥ずかしがることなく感情を表した

日本はベネズエラ人に対し立ち上がって拍手

「我々のオーケストラは世界の音楽史に残すべきページを書いているんだ」とドゥダメルは言った

マジョリー・デルガド

【東京】
昨日、東京芸術劇場で、有名なピアニスト マルタ・アルゲリッチは、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)とのリハーサルの後、団員達に向かってこう注意した。「日本人が立ち上がって拍手するなどど考えてはいけません。そういうことはしない聴衆なんです。」しかしながら、ベネズエラ人ならその規則を破ることができるのは証明済みだ。20年前、シモン・ボリバル・オーケストラの第一世代がそれをやってのけたのだ。

グスターボ・ドゥダメルが舞台に入場した時、天井まで届く巨大なオルガンの前で彼はとても小さく見えたが、彼が指揮棒を振った瞬間に、その偉大さが姿を現した。まず、モーリス・ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏だった。誰も立ち上がらなかった。やっぱり言われていたことは確かだったのか?まだよくわからなかった。でも、ドゥダメルは、ステージに三度姿を見せなければならなかった。ここ数日のコンサート以上だ。

雄弁で魅惑的なエベンシオ・カステジャーノスの作品「パカイリグアの聖なる十字架」の込み入ったリズムは、ベネズエラの音色で舞台を満たした。またしてもドゥダメルは何度も舞台にその姿を見せた。日本人は難しいレパートリーだということが理解できる聴衆だ。でも、席からは立ち上がらない。ひとりもだ。客席にいたベネズエラ人は落ち着かず足を動かし始めていた。でも、チャイコフスキーの交響曲第5番が終わった時、聴衆は手が真っ赤になるまで拍手しただけでなく、席を立ち上がったのだった。魂が命じる時、すましてはいられないし、感情を押し殺すことはできないのだ。そうする人もいるかもしれないが、ラファエル・パヤレスが演奏したようなホルンのソロに魅せられる感受性を持つものなら、その感情を抑えることはできないはずだ。

バーンスタインの「マンボ」とヒナステラの「マランボ」に興奮は益々高まった。いつものお行儀の悪さで椅子の上にまで乗って演奏し始めた団員達を見ればよいのか、信じられないという表情の観客を見ればよいのか、もはやわからなかった。

アルゲリッチの予言ははずれた。日本人の聴衆は立ち上がっただけでなく、何分も拍手し続けた。ボルヘスは、時間は感覚的なものであると書いているが、その何分間かは永遠のように感じられた。もう、ドゥダメルが何度ステージにに現れたかわからなくなってしまった。最後の団員がバックステージに戻ったとき、それでも聴衆は拍手し続けていた。ドゥダメルはさらに3回舞台に出て行き、4回目にはオーケストラと一緒に出て行くことに決めた。拍手は鳴り止まなかった。団員達が楽器をケースにしまっている間も、そして何年も前に彼らの先生たちがしたように、この忘れられないエピソードを思い出の小箱にしまっている間も、拍手は続いていた。

エル・ウニベルサル紙  2008年12月19日(金)付け

日本がSBYOを賞賛

東京国際フォーラムの聴衆は立ち上がり「ベネズエラ万歳!」と叫んだ

エル・ウニベルサル紙特派員 ドゥブラスカ・ファルコン 

【東京】
「ベネズエラ万歳!」東京国際フォーラムのホールで、ひとりの男が立ち上がり、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)に、拍手を送り、何度も叫んだ。彼はベネズエラの3色の国旗を繰り返し振った。昨日、SBYOの演奏家達はひとつひとつの音符で聴衆に魔法の調べをプレゼントし、聴衆は200人のオーケストラ団員に拍手喝さいを送った。会場の熱気はどんどん高まり会場の係員をあわてさせたほどだった。

3人の名演奏家、ルノー・カプソン、ゴーティエ・カプソン、マルタ・アルゲリッチとの共演による、ベートーヴェンの「ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重奏曲」の演奏中から、オーケストラは大喝采を浴びた。劇場の音響はその構造から最高とは言えないものであったが、彼らには関係なかった。

「グスターボの指揮で初めて演奏したとき、僕は最後にはほとんど泣きそうになった。彼には天賦の才能がある。それは神様からの贈り物で、それによってオーケストラと直接につながることができるんだ。そして今日、素晴らしい雰囲気を作り上げることができた。この若い団員達は演奏する時エネルギーにあふれているのが感じられる。僕は彼らと演奏するのが大好きだ。」とゴーティエ・カプソンは語った。

コンサートが進む中、日本の指揮者、小澤征爾の探るような目が光っているのが見えたが、最初に立ってオーケストラに拍手を送ったのはオザワだった。彼はSBYOを聴き、そして感じる機会を持てたことが素晴らしかったとはっきりと示して見せたのだった。

日本人がベネズエラのオーケストラを舞台で聴くということがどういう意味を持つのか、ということを知ってから17年が経った。

若い団員達の音楽指導者たちが、世界で一番人口が密集するこの大都市で道を切り開き始めたのは1991年にさかのぼる。当時、東京、神戸、京都、名古屋、大阪などの都市で6回のコンサートをした。

「私たちはまるで冒険家のように日本にやって来た。招聘されてやって来て、まさに冒険のように日本を楽しんだ。演奏するだけでなく、東京ディズニーランドにも行ったし、サルサも演奏した。私たちは大胆な精神の持ち主なんです。日本で演奏することは音楽的な挑戦であり、それをやってのけました。そして今度は若者達の番です。」と指導者でバイオリン・トランペット奏者のフランク・ディ・ポロは語った。

「今日、ここで僕たちは皆さんの前で2度目のデビューをしているんです。この日本に僕たちの先生たちが最初にやってきているんです。」とグスターボ・ドゥダメルは最後に締めくくった。

エル・ウニベルサル紙  2008年12月20日(土)付け

SBYOが広島の人々に希望を届ける

最後のコンサートでは、平和記念公園への敬意を表した

エル・ウニベルサル紙特派員 ドゥブラスカ・ファルコン 

【広島】
言葉では表せない。決して表せないだろう。昨日、広島厚生年金会館での経験を表現することは不可能だ。シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)はこれまでにない、そしてこれからも多分無いだろう瞬間を経験したのだ。あってはならない卑劣な歴史に見舞われた人々に、オーケストラが生み出すその説明しがたい魔法の世界をプレゼントするということの意味。その魂に人類最大の過ちの痕跡を刻み付けているその聴衆から、胸を引き裂くような「ありがとう!」という言葉をかけてもらうということの意味。

彼らの中で何かが起こった。何か?わからない。しかし、その何かは大勢の人生の「それまで」と「その後」をはっきりと分けた。鳥肌がたった。心臓がどきどきした。幸せに満たされ涙が流れた。

オーケストラは、楽章ごと、音符ごと、小節ごとに、溢れんばかりの精神性を込め、聴衆と直接つながり、聴衆を圧倒した。こんなに若い演奏家達が、(ルノー・カプソン、ゴーティエ・カプソン、マルタ・アルゲリッチとともに)ベートーヴェンの作品を、そしてマーラーの作品を完璧以上に演奏をするのを見て感じるのは、簡単なことではない。

「ここ、広島では何かが起こった。何かが感じられた。何かはわからない。でもただ素晴らしかった。東京のコンサートよりも良かった。他の多くのコンサートよりも良かった。何かが起こった。」演奏を終え、アルゼンチン人ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは語った。

一番疑い深い人さえも、目の当たりにしたことが本当の奇跡だったと確信した。オーケストラの団員達が「マンボ」とアルベルト・ヒナステラの「マランボ」のリズムに乗り、聴衆に向かって走っていった時、はっきりと体感することの出来た奇跡だ。プレゼントできるジャケットはもう残っていなかった。だから聴衆のもとに走ったのだ。そして聴衆はやむことの無い拍手で感謝した。

「ここにいることの意味を言葉で説明するのは難しい。ふたつの思いが混ざり合っている。みんな広島で起きた事を知っている。でも、ここにいると魂と生命が再生する感じだ。だから、素晴らしい日になるようにしたいんだ。僕達の使命は希望と喜びをプレゼントすることだ。今日が今までにない一日だったことは疑いの余地がない。」とグスターボ・ドゥダメルは語った。

ホセ・アントニオ・アブレウとグスターボ・ドゥダメルは、原子爆弾が炸裂した場所の前で、犠牲となった14万人の人々の冥福を祈った。

オーケストラの団員達は花束と、200以上の三色の団章を捧げた。ひとり、またひとりと、目に涙を浮かべながら記念碑に近づいていった。昨日という日は、ベネズエラの若者達が、まだ傷ついたままでいる人々の心を希望で満たした日として記憶されることだろう。

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翻訳: 小原 京子

 

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2009年2月 9日 (月)

新聞・雑誌情報

09年2月7日(土) 朝日新聞朝刊、国際面に「エル・システマ」に関する記事が掲載されました。日本公演に関する情報だけでなく、ベネズエラ現地での取材に基づいて記事が書かれています。

また、月刊ソトコト3月号にホセ・アントニオ・アブレウ氏のインタヴューが掲載されています。[ソトコト.net]

どちらもとても内容の充実した記事です。是非ご覧下さい。

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小原京子さんからのニュース その5

ベネズエラの新聞がSBYOの韓国での様子を伝えています。

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エル・ウニベルサル紙 2008年12月15日付け

ソウルはベネズエラ・ユース・オーケストラに熱狂

エル・ウニベルサル紙特派員 ドゥブラスカ・ファルコン

【韓国】ベネズエラの三色旗がソウルを熱狂させた。聴衆たちの熱狂は政治的には不適切と言えるほどの極地まで達した。シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)がソウル・アート・センターで行った最初のコンサートは、始まった瞬間から聴衆を陶酔させることに成功した。音楽関係者によるとソウルではかつてない現象である。コントロール不能のこの状況は韓国人自身でさえ信じがたいほどだった。ベネズエラ人になりたいという鳥肌が立つほどの思い。また、200人以上の若い演奏家たち、指揮者のグスターボ・ドゥダメル、ホセ・アブレウ博士が韓国生まれであって欲しいとでもいうようなほとんど説明し難い願い。聴衆は、涙と果てしない拍手の中、エル・システマの若い演奏家たちを生で、そして最高の音響で聴くということが何を意味するのかを体験したのだ。

実際にコンサートを体験しないと、2時間半の間、一味違うバーンスタイン、マーラーに耳をこらしていた聴衆が、団員達が着ていた3色のジャケットをもらうために舞台に殺到した理由はなかなか分からない。「世界中を総立ちにさせるオーケストラ、SBYOだから」と聴衆のひとりが言ったが、ひとつにはそういうことなのだろう。

「私は今までにたくさんのオーケストラの演奏を聴いて来たが、これほど繊細で豊かなマーラーの演奏を聴いたのは初めてだ。涙が出た。南米人であることを誇りに思う。今日は誰もがベネズエラ人になりたいと思った。」と、駐韓国コロンビア大使は語った。

演奏は完璧だった。リハーサルの時、グスターボ・ドゥダメルは叱咤した。「疲れてるとか、悲しいとか関係ないんだ!僕達は僕達が何者であるかを見せるためにソウルにいるんだ。最高の音を奏でるためにここにいるんだ!」団員達は、言われたとおり一つ一つの音をきちんと演奏し、情熱と彼ら独特のエネルギーをほとばしらせた。

叫び、口笛、拍手、そして感動で息が詰まりそうだった。照明が消され、韓国人たちは文字通り熱狂した。背中に「ベネズエラ」の文字をつけた団員達が、アンコールの一曲目バーンスタインの「マンボ」、そしてアルベルト・ヒナステラの「マランボ」を演奏した。何人もの観客が踊り出し、その瞬間を楽しんだ。

エル・ナシオナル紙 2008年12月16日付け

ツアー:ホセ・アントニオ・アブレウ、韓国=ベネズエラ・オーケストラの創設を提案

韓国はエル・システマを開花に例えた
昨夜、韓国でのコンサートが終わると同時に、二国間の音楽プロジェクトが始まった

マージョリー・デルガド・アギーレ

20歳そこそこだろうか、リュウという韓国の女性が、ホセ・アントニオ・アブレウが出てくるのを待っていた。はにかんだまなざしと満面の笑みで、博士に緑の小さな袋を渡した。その中には韓国のお菓子とスペイン語で書かれた熱烈なメッセージが入っていた。Google で翻訳したのだろうか。このように書かれていた。
「私は文化でたくさんの人を幸せにしたい。シモン・ボリバルの例に倣いたい。私は将来が不安ですが、コンサートを見て何かを感じました。それが一番大事なことです。このコンサートは私に奇跡とベネズエラの未来を見せてくれました。あなたは悪い状況にあるにもかかわらず、たくさんの事を成し遂げました。90分たらずのコンサートで人々を変えることができるのに驚きました。心からありがとう。(原文まま)」

この前に2時間にわたって、エル・システマの創設者であるアブレウ博士は、34年間ベネズエラの演奏家達が同じような告白をしてきた理由について語っていた。ソンナム・アートセンターで開催されたフォーラム会場では、「エル・システマは芸術の開花だ」と韓国語で書かれたポスターの下、アブレウは、今日三世代が育ち、世界文化の最高峰まで登りつめたプロジェクトの精神について、そしてオーケストラ・システムの精神性、芸術性、道徳・社会参加面での広がりについて要約して語った。

博士によるフォーラムと韓国で行った2つのコンサートは、両国の音楽教育と芸術交流の中での二つ目の試みである。一つ目は、何年も前のことになるが、双方向通信による音楽教育プロジェクトに韓国の技術が寄贈された。ベネズエラ内陸にあるニュークレオ(音楽教育センター)のたくさんの生徒は、そのお陰で世界中から招かれカラカスにやってくる音楽家のセミナーを全て体験することができたのだ。フォーラムの後、韓国における技術研修によって若い弦楽器製作者を育成したり、ベネズエラと韓国の間で室内楽団や指導者の交流をたえず行うことを目指す「韓国=ベネズエラ音楽教育交流計画」が非公式ではあるが署名された。
アブレウの提案のひとつはそこには盛り込まれなかった。それは韓国=ベネズエラ・オーケストラの創設だが、そのための書類を作成し署名する準備はととのっている。アブレウ博士は、2010年にデビューさせたいと願っている。また、韓国から3回目となる楽器の寄贈が予定されていると発表された。

アブレウ博士に先立ってマイクをとった「釜山青年の家」の指揮者、アン・ユギョンが、貧しいながらも将来演奏家をめざす子供達に共同生活する場所を提供するプロジェクトを紹介した。アブレウは、双方の経験はその歴史からもその理想も似ていて兄弟のようなものであると考え、支援を申し出た。

これを聞いて北朝鮮に思いを致らせた人もいたかもしれない。「釜山青年の家」のようなオーケストラにとって機会に恵まれている土地と言えるかもしれない。

翻訳: 小原 京子

 

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2009年2月 5日 (木)

TV情報

SBYO日本公演(12月17日)の模様が教育テレビにて放送されます。
是非ご覧下さい。
2/20(金) 22:30~0:45 NHK教育●NHK芸術劇場
シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
グスターボ・ドゥダメル(指揮)
ラヴェル : バレエ「ダフニスとクロエ」第2組曲
チャイコフスキー : 交響曲第5番 ホ短調 op.64
(収録 : 2008.12.17 東京芸術劇場)

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2009年1月29日 (木)

いつもとは一味違ったツアーの幕裏で

エル・ナシオナル紙 日曜版 別冊「トド・エン・ドミンゴ」(2009年1月11日)に、グスターボ・ドゥダメルの夫人であるエロイーサ・マトゥレンによるアジア・ツアーの回想が掲載されました。以下にその抜粋訳を掲載いたします。

17年前、ベネズエラのシモン・ボリバル交響楽団が初来日し、クラシック音楽界でベネズエラが歩む道を切り開いた。去る12月、その弟子に当たる、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)の演奏家達が初めてアジア・ツアーに乗り出した。SBYOは音楽に対する要求が最も厳しい欧米の聴衆から喝采を受け、次に東へ進路を向けた。SBYOと指揮者グスターボ・ドゥダメルは、2週間に渡るツアーで、北京、ソウル、東京、広島の聴衆に消すことのできない印象を残すことができた。

このツアーはドゥダメルにとっても、極東での彼の歴史の始まりである。過去4年間、ドゥダメルが数々の欧米の一流オーケストラで指揮をした事は周知の事実だ。それらのオーケストラとともに彼の名前が上がり、またコンサートに駆けつけた聴衆に熱狂を巻き起こした事で、ドゥダメルは同世代の最も成功を収める指揮者であると目され、その責任が彼の肩に圧し掛かっている。ドゥダメルによって若者達がベートーヴェンやマーラーに熱中するようになったし、チャイコフスキーやラヴェルの作品がアエロスミスやコールドプレイと同じように魅力的だという事を示し、従来の音楽界での常識を覆す突破口を開いたのだ。

東京へ。最近4年間、ベネズエラ全国を誇りで満たした現象を再び体験できた。どんなに保守的な聴衆でも、彼らベネズエラの若者の音楽に心を動かされない聴衆は世界のどこにもいないということだ。SBYOにあまり期待しないで来た聴衆も、2時間の演奏の後は最初の好奇心が確信に、無関心が熱狂に変わるのだ。彼らはアジアの聴衆の心を完璧に変えた。特筆すべきなのは、控えめであまり感情表現をしないことで知られる日本の聴衆が、コンサートが終わるごとに感情を抑える事ができず、20分にもわたる喝采でオーケストラに感謝の意を表したことだ。これはまさに記憶に残る「変える力~トランスフォーマー」の経験だと言える。オーケストラが3色ジャンパーを着てアンコールで演奏するのが恒例となっている、バーンスタインの「マンボ」にあわせて体を動かす聴衆の「変化」を目の当たりにするのは全く信じがたい思いだった。一番驚いたのは、コンサートが終わった時だ。団員達が着ていたジャンパーを脱いでプレゼントとして客席に投げ、聴衆が大喜びした時だ。たくさんの人がベネズエラの3色ジャンパーを家に持ち帰ろうと舞台に駆け寄った。東京のある公演では、私の隣には若い女性が座って、遠慮がちに拍手を送り、しとやかな感じだった。ところが、ひとたびジャンパー投げが始まると人が変わったように俄然積極的になり、ジャンパーをゲットしようと迷うことなく私と何人もの前を飛び越えて走っていった。しばらくして、満面の笑みを浮かべて席に戻ってきて、何度もすみませんとお辞儀を繰り返した。私は、思わず、結婚式で花嫁がブーケを投げる時、独身女性の中でも一番おとなしそうな女性が靴を脱ぎ捨てブーケに向かって飛びつくあの光景を思い出した。

今回私は、これらの青年達が全く異文化の聴衆の心にまでクラシック音楽の炎をともすことが出来るのはなぜかということを考えた。その答えを得るためには、マエストロ ホセ・アントニオ・アブレウがオーケストラ・システムを創設したときに持っていた方針に戻らなければならない。オーケストラ音楽を学ぶことで、一人ひとりがテクニックだけでなく、共同体の精神、社会への敏感な感情、団結の精神を力を身につける。この哲学は深く浸透し、このオーケストラを特徴付ける目印となった。団員の多くが、オーケストラを家族のように感じると語った。特に、ベネズエラの内陸出身者達は、家族よりも団員仲間と過ごす時間の方が長いのだ。

団員達の口から繰り返し語られる言葉がある。それこそがこれほどまでの成功の秘密かもしれない。
「このオーケストラの一員であるということは、仕事ではない。人生そのものだ。」
SBYOとドゥダメルの成功のおかげで、世界中がベネズエラとエル・システマに注目している。このシステムはすばらしい例だというだけでなく、音楽教育の大衆化がもたらすことの出来る社会的利益の見本なのだ。海外の舞台でSBYOが演奏をするたびに、何百人もの人がこのシステムに感動し手本にするべきだという思いを強くする。アブレウ博士がいみじくも言うとおり、音楽教育は全ての青年と子供達の権利だからだ。

最後の地:広島。でも全てがお楽しみと笑いだけだったわけではない。今回のツアーには内省の時間があった。帰国前の最後の訪問地は広島だった。その日のリハーサルの前に、オーケストラはあのいまわしい1945年8月6日の原爆投下の後、建立されたモニュメントを訪問した。63年前、実験でなく実際に使用された世界初の原子爆弾が炸裂した場所は、今日、美しい公園になっており、シンプルなコンクリートのアーチでは、原爆投下を忘れないため永遠の火が燃やされている。

団員達は花を捧げ、敬意を表してオーケストラ・システムの団章リボンを奉納した。1分の黙祷がずっと続いた。その場所で起きた惨事を想像し、多くの団員の目から涙が溢れた。その後、リハーサルの時間まで原爆資料館を短時間ではあったが見学した。ホールに着いた時、団員達は言葉少なだった。いつもにぎやかな彼らには珍しいことだ。楽屋に戻ったドゥダメルは物思いにふけり、うつむいていた。私は彼の隣に黙って座った。しばらくして彼が口を開いて言った。「今はとても悲しい瞬間だ。でも僕達のメッセージは希望のメッセージであるべきだ。今夜、聴衆に僕達が捧げられる最高のものは、音楽を通して僕達の魂を捧げることだと思う。」

数分後、オーケストラは舞台上に集まり、リハーサルが始まった。ドゥダメルは、今しがた私に言った言葉を団員に繰り返した。「今晩は、今日ここに存在する機会を奪われてしまった、あの子供たちのために演奏しなくてはならない。メッセージは簡単だ。一心に世界を変えるための努力をすれば、それはかなうということを僕達は知っている。僕達はよりよい世界を求めているし、みんなでそれを手にいれるんだ。」

エロイーサ・マトゥレン
翻訳:小原京子

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2008年12月17日 (水)

ファクトシート

エル・システマの概要をまとめました。是非ご覧ください。

「ファクトシート」をダウンロード

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